やっぱり日曜は…

やることいっぱいの日曜日。
 
10:00〜13:00、定例集会
13:15〜13:45、聖歌隊の練習。
14:00〜15:30バプテスマ会。
17:00、一度帰宅。すぐに出発。
19:00〜21:00、ボーイスカウトの団会議。
22:00、帰宅。
22:30、ばあちゃんの赤飯とシャトレーゼの和菓子でささやかに父の誕生日のお祝い。
 
(*´O`)=зふう。
 
 
今日は聖餐会でお話をしたので、内容を紹介します。
 
しばらく前に、弟とケーキを作りました。生地にバニラエッセンスを加えた後で、甘い匂いに誘われて弟はバニラエッセンスを舐めました。匂いとは裏腹に、すごく苦いバニラエッセンスを。
バニラエッセンスは外見と中身が一致しないんです。
 
最近、モルモン書を読んでいて、ある箇所が気になりました。
1ニーファイ8章で、父リーハイは遠くから見ただけで命の木が好ましいものだとわかっています。(9〜11節)
しかし、息子レーマンはその木をつまらないものだと判断して、近くに行こうともしませんでした。(17〜18節)
どんなものより白い実は、リーハイには価値があり、レーマンには価値がなかったのです。おそらく、レーマンが求めていた実は、派手な色だったり、すごく大きかったり、奇抜な形だったりするのではないでしょうか。
しかし、そんな実の味はどんなでしょう。バニラエッセンスより美味しいのでしょうか?
 
命の木は救い主イエス・キリストの象徴です。
イエス・キリストについてイザヤ書には、見目の良さも、華麗さも、美しさもないと書かれています。(53:2)
圧制からの救世主、王の王を求めていた人にとって、イエスは魅力のない人物でした。馬小屋で生まれ、田舎の貧しい大工の息子で、まともな教育も受けていないのです。貧乏人、罪人、病人、売国奴(取税人)、異端者(サマリア人)などの『つまらない』人々と仲良くした『つまらない』人物だと判断しました。
敵に打ち勝つことを求めていた人にとって、敵を赦し、愛せというイエスの教えは『つまらない』ものでした。
より多くを得たいと願っていた人にとって、分け与えよというイエスの教えは『つまらない』ものでした。
しかし、世の人がどのように見なそうと、その実はどんな実よりもずっと甘いのです。
 
本当の価値を正しく見ることができますように。
主の教えを学び、実践できますように。