新人さん

携帯変えちゃった。
AUのW51H。画面が大きくて解像度も高いのでPCサイトビューアーが使いやすいかな〜って思って購入。防水機能は無いから気をつけないとな。
komikenに見せたら興味津々で、『うわ〜、(自分の携帯は機能が)負けてる気がする。携帯変えたくなってきた…』だって。物欲魔人を刺激してしまった…。
 
金曜夜から神殿に行ってきたよ。
今回のメインは、1年前に亡くなったじいさんの儀式を受けること。わずか数時間でバプテスマから、両親への親子の結び固めまで一気に受けちゃいました。
結び固めは、僕と両親が代理で受けました。ひいおばあさんは僕が3歳ぐらいの時に亡くなったけど、ちょっとだけ覚えてる。もちろんじいさんのことはしっかり覚えてるので、儀式への思い入れはひとしお。熱いものがこみ上げてきた。夜通し運転して疲れてたけど、儀式を受けられて良かった良かった。
 
 
おまけ。
先日、ジェリコロードのコンサートの帰りに神友直くんと話したこと。
直「最近すごいことを発見しちゃったんだ。」

章「え、何?」

直「章和君はどういうときにイエス様に近付くと思う?」
 
章「………」
 
直「………」
 
章「そうだね…。『自覚している時』だと思う。自分が今していることは、イエス様に従っているんだって自覚して行うときに近づくんじゃないかな。」
 
直「うんうん。」
 
章「例えば、最近読んだところではモルモン書の1ニーファイ18:16。兄たちにひどいことをされたあとで、『それでもわたしは神に頼り、一日中神を賛美し、わたしの遭った苦難のことで主に対してつぶやくことはしなかった。』ってわざわざ自分で書いてるんだ。つまり、つぶやきたい気持ちがあったけどそうしないことを選んだってことだよね。それと同じように、自分で努力して主の方を選ぶときに主に近付くんじゃないかな。『試練を主によって乗り越えるとき』って表現でもいいかも。」
 
直「なるほどね。」
 
章「直くんは?『すごいこと』って何さ?」
 
直「私はね、『イエス様に祈るとき』なんだ。」
 
章「それってどういうこと?」
 
直「私たちは主の御名によって天父に祈るでしょ。最近は天父に集中しすぎていて、イエス様が私たちと天父を取り次いでくださることや、イエス様が私たちを助けてくださることを忘れがちになってたんだ。だから天父にだけ祈ってるような感じになってて、あんまり平安を感じなくなってた。でも、そうじゃない。イエス様に祈ることができるってわかって、実際に贖いをもたらしてくださるイエス様に意識を集中して祈るようにしたの。そしたらすごくイエス様を身近に感じて、すっごい平安もあってさ。」
 
章「そうか〜。そうだよね。」
 
直「もちろん、心を開いて素直に祈るとかの条件もあるけど、『祈りによって主に近付くことができる』んだよ。」
 
この会話、ほんの数分だけど濃い…。そしてこんな濃い会話をしょっちゅうふっかけてくる。
彼は普段からこんなことを考えているのかな。